帰国してからかなり経ちましたが、2012年の春に行った2ヶ月間の海外旅行記をブログに残しておきたいと思います。LA→SF→NY→ブエノスアイレス→エンカルナシオン→サンパウロ→バルセロナ→ウィーン→ベルリン→ライプツィヒ→ロンドン→成田。振り返ってみると週に1回は移動していましたが、移動するほどに旅はやめられないと思いました。その土地で出会う人や文化。未知との遭遇が僕の原動力だと心から感じたからです。この記録がこれから旅に出る人やしたいと思っている人、したくてもできない人が「何か」を感じてくれるものになればと思います。
<旅の始まり>
2012年4月8日。僕は成田空港からマレーシア航空の格安チケット(スカイゲートという日本のサイトで購入。往復で約5万円)でLAX(ロサンゼルス国際空港)に向かっていました。そもそも、僕が海外を長期間旅行をしようと思ったのは単に好奇心です。「江戸時代末期に維新志士が海外で見聞を広めたことを機に明治維新をおこしたことを倣う」とかいうたいそうな大義名分もありませんし、色々とうまくいかない現実から逃げたかっただけなのかもしれません。ただ、興味があることを知りたかっただけです。まず、ロサンゼルスに向かったのもアメリカを旅行したことがなかったし、新しい音楽の震源地になっているLow End Theoryに行ってみたかっただけでした。あとは、仲間と作ってるフリーペーパーのネタになればいいかなとか、実際どれくらい英語できるのか試したいなって思ってたくらいで。大学を卒業してから自分なりに4年ほどサラリーマンぶってみたりしたものの、結局は興味のあることでしか動けない適当人間なのです。
そんなことを思いながら機内食を食べ(余談だが、東南アジア系の航空会社の機内食は比較的美味しい)、ぐっすり眠ると、気付いたら無事にLAXに到着していました。とろろなどネバネバした食べモノはいつになっても苦手ですが、どの国の食事も受け入れられて、どこでもぐっすり寝れるのは数少ない僕の長所なのかもしれません。しかし、案の定たいして下調べをして来なかったため空港から宿泊先にどうやって向かうか着いてから調べだしました。どうやら予約したサンタモニカのユースホステルはLAXから割と遠かったようです。宿泊先も「サンタモニカって聞いたことあるからサンタモニカでいいや」というノリだけで空港からのアクセスも大して調べず予約してしまったことを少し後悔。この失敗を機に空港から宿泊先のアクセスだけは念入りに調べるようになりました。まあ、良識ある方々にとっては普通のことかもしれませんが...僕のような適当人間にとってはちょっとした進歩なのです。旅行自体もロスの後はアメリカを回りつつ南米に向かって、余裕があればヨーロッパも回って帰ってこれたらいいかなぐらいしか考えておらず、特に何の予約もプランも無かった割には意外とその通りになったなと後から考えると思います。
結局、同じ便に乗っていたと思われる日本人の後をつけ、大型タクシーのようなものに相乗りし30ドルかけて宿泊先に辿りつくことができました。ユースホステルでチェックインを済ますと、日本人の若者が話かけてきて一緒に食事に行くことになりました。なるべく英語も上手くなりたかったのでなるべく日本人と話さないようにと思っていましたが、あまりにも下調べしてこなかったことに焦りだして情報を仕入れることにしました。話を聞いてみると、彼は某都内私立大学の学生で南米をしこたま回ってきて最後にLAに到着し、これから日本に帰るとのこと。両親の仕事の都合で少年時代はブラジルに住んでいたので、友達の家に泊めてもらったりしてやり過ごしてきたらしい。僕も南米というかブラジルに行きたいと思っていたので、交通事情や物価、治安など色々教えてもらったのは初日から思わぬ収穫でした。なんとなく入ったファミレスで早速アメリカンサイズの洗礼(日本人の中ではかなり食べれる方だと思っていましたが、食べきれませんでした)を受けましたが...
「このホステル僕がこれまで泊まったところで一番高いかもしんないすね。32ドルは高いな〜」
という彼の言葉が初日は一番記憶に残っています。
そして、移動中に一番聴いていた曲はやはりレッチリでした。